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転職

過去40年の仕事・転職・失敗・成功

投稿日:2019-03-19 更新日:

過去40年分の仕事・転職・失敗・成功について、語っています。

自分の体験談です。

年収200万の会社員でスタートした筆者が、年収7ケタの会社員にまでなり、その後会社社長として起業したのか、の顛末です。

約40年間の社会人生活の始まり

始まり

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正確には、40年では無く38年前なのですが、大学を卒業した僕が就職したのは、楽器会社の営業でした。

なかなか成果を出せないダメな方の社員として社会人をスタートしました。

振り返ってみると、5度の転職の決断は結果的に良かった、と思ってます。

僕の場合は、転職によって、間違い無くステップアップした人生でした。

 

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1度目の転職は、20代の終わり頃でした。

学生時代のバンド活動が辞められず、ただ「楽器に触れる仕事をしたい」と、未来の人生などよく考えもせずに、楽器会社の看板にひかれて面接を受けました。

あとで思い返せば、自分の頭の中の楽器はイコール「ギターやドラム」でした。 説明されたのは、「ピアノやエレクトーン」、話がよく噛み合っていないのに、「楽器会社が良い」という選択肢しかなかった自分は、深く考えずにそのまま楽器会社に入社しました。

 

現実は、、、「ヤマハ音楽教室」の生徒を集めて、生徒の親にピアノやエレクトーンを買ってもらう仕事でした。

春と秋の音楽教室の生徒募集のあとは、楽器を持っていない子供の親にアプローチして、エレクトーン・ピアノの販売開始でした。

そして、子ども達のコースの進級が進んでいく中で、鍵盤楽器の買い替えやさらに大きな機種への買い替えへと続いていきました。

 

今(2019年)となっては、すでに何年も前から「少子高齢化」といわれ、習う子供は少なくなったのだろうと思います。

当時の音楽教室の中は、子供達が歌ったり、オルガンやエレクトーンを弾いたりと楽しそうだったことを思い出します。

 

人生初の会社ですから、今から思い出しても一生懸命に仕事をしていたと思います。

今ならば、典型的ブラック企業といわれたと思います。

当時は、本当に月に1度の休みもない状況でしたから。 それでいて、給料が安い。

27〜28歳の頃、北海道地区のヤマハ製品を扱っている会社全てのセールスマン大会があり、個人では北海道地区で一番鍵盤楽器を販売したということで表彰を受けました。 それでも筆者の年収は200万台半ばくらいでした。

 

これでは、結婚は無理ですね。

1度目の転職は、この時にしました。

本来ならば、次の職場を決めてから、退職の方が良いのですが、ほんとに休みがない状態でしたから、まずは「先に退職するしかない」と考え退職届けを出しました。

しかし、営業実績を買われて、退職の引き留め似合い、給料アップと昇格を約束されました。 一旦、退職は保留です。

しかし、実際には月給数千円のアップしかなく、再び退職届を提出しました。

楽器といいますのは、メーカーからの卸価格が非常に高い商品なのです。 それは、ヤマハだったからかも知れません。 最近のことは知りませんが、30年以上前の卸価格はピアノで定価の80%です。 販売店の仕入れ価格は、50万円で販売するピアノを40万円で仕入れるのですから、販売店の財政が潤うはずはないのですよね。 一般の物販ではきっと信じられないと思います。 エレクトーンは75%でした。 ですから、販売店のような弱い立場では筆者の給料を上げてくれることは出来なかったのでしょう

実は、ある日、社長の給料明細を目にする機会があり、非常に驚きました。 社長にしてあの金額では、筆者の給料は、当然なのだと思いました。 だからと言いましても、休みなく働いて、そんな給料(成績優秀者になっても年収200万円台)では辞めるしかありませんでしたね。

そして、いよいよ就職活動開始です。

当時は、ネットもなければ、携帯もない、メールもないし、ポケベルが会社の上層部にいる方々のみ持っていたような記憶があります。

ですので、就職活動は「雑誌」を買って、就職先を探すということです。 しかし、転職雑誌を買って、吟味して、転職活動をする時間が取れなく、結局は、予定もなく楽器会社を退職しました。

人生2度目の会社から、僕の不動産業の人生が始まります。

知人の紹介により、地元の住宅会社に就職が決まりました。 給料は2年目には、前職の約2倍近く(500万円台の半ば)になりました。驚きました。 また、それまでの楽器営業では、何とか売りつける的な営業をしていましたから、不動産業に入った当初は、驚きました。 不動産業(正確には、その時は住宅会社)というのは、家族全員がこちらの話に耳を方無手くれる仕事なんだ、と実感し、なんて良い仕事だろう、と思った事を思い出します。

しかし、2年目には、また転職を考えるようになったのです。

それは自分から発生したのではなく、周りの諸先輩に、勧められたのです。 今思うと、不思議な話です。

僕はその時、30歳だったと思います。 周りの方々は本当にみなさんが年上の方ばかりでしたね。 営業部も建築部も40代50代が中心でした。 それらの方々から、もっときちんとした会社(?)にいった方が良いと言われました。 確かに人の出入りは多かったです。 僕が2年間在籍している間に、10人以上の営業が退職していましたからね。

(人の出入りが多いのは、不動産業・建築業ともに共通の問題なのだと、あとで知りました。)

そして、ここから僕のダイレクトアプローチ転職が始まります。

今なら査定エージェントというサービスまであるのが素晴らしい。 【リクルートエージェント】

心細い自分に、心強い味方になってくれるんだろうと思います。

 

ダイレクトアプローチ転職とは、僕が勝手に名付けました。 募集記事を見て応募するのではなく、自分から会社にアプローチして入社するのです。 今時はそんなことをする人はいないのだと思います。 当時にしても「少し変わっていた」かもしれません。

 

次回は、その後の転職から現在に至るまで、を書きます。人生2度目の転職。不動産会社へダイレクトアプローチ。

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